〜二の月、リリィ・ホワイト〜
カトレアからクレツェントへ、その国を変える。
これからは故郷に帰る事はあっても、そこは帰るべきところではなくなる――。
「ついに、この日がやって来てしまったか…」
「兄上…」
「だが、国を違えようとも我等の血は変わらない。
親兄弟の絆は何者にも断ち切れぬ…だから、私は喜んでそなたを手放そう。
大切に育てた雛を大空という広い世界に羽ばたかせてやるのも親の務め…
私の場合は"兄"だがな…」
アスファルドは穏やかな笑みを見せた。
胸に熱いものが込み上げてくる。
「兄…上…」
子供のようにその胸にしがみつく。
「アーウィング…これが今生の別れではない。
これから二つの国を私達兄弟が結びつけ、共に繁栄へ導くのだ」
「…はい」
零れそうになる涙を拭って姿勢を正す。
そう、別れとはいえ晴れの席で涙は禁物だ。
「アーウィング…貴方が幸せであるよう、いつも祈っています」
「はい、母上…」
「心はいつも共にあるわ。私も貴方も…貴方の父親も…」
いつも少女のような母親が、
今はすっかり母親の表情でアーウィングを見つめる。
その眼差しはアーウィングの心に刻まれた思い出の日のまま。
「行って参ります!」
結婚式は婚約披露の時と違ってしめやかに行われる。
神の前で愛を誓うのは王族も庶民も同じ…。
それに、この結婚式が終わればすぐにリディアは女王として即位する。
国をあげて盛大に祝うのはその時で十分だった。
式が始まってから、リディアはアーウィングと目を合わせていない。
何故か、アーウィングはリディアを見ようとしない。
緊張と真剣な表情、そう、これは儀式だ。
(僕は、カトレア国の王子アーウィングからクレツェント王国のアーウィングになる…)
この国の人間になるという事は、この国で生き、この国で死ぬ事――。
それを受け入れるには覚悟が必要だった。
(私が…ここまで来て答えを出せない私が悪いの?でも…)
『これを…ブーケには使ってください。
ブバルディアは交わり、交際を表す花です。
これから二つの国は結ばれる…僕と、貴方も…』
式の直前、そういって差し出された花。
彼の言葉といえるそれをリディアは見つめる。
(私は…答えを出さなければいけない…これ以上彼を傷つける前に…)
「誓いの言葉を…」
「私、アーウィング=カトレーニアはリディア=クレツェントを妻とし、
病める時も健やかなる時も、共に助け合い、
彼女一人を永遠に愛し続ける事を誓います!」
「私…リディア=クレツェントは生涯を通し彼を支え、
同じ喜びを分かち合い、愛し続ける事を、誓います…」
「それでは、誓いの接吻けを…」
ヴェールを捲り、肩に手をかける。
「すごく綺麗だ…せっかくの決意を後悔しそうなくらい…」
「えっ…?」
接吻けは一瞬、軽く触れる。その微かな温もりに愛しさを感じる。
(アーウィング様…?)
つつがなく式が終わり、祝賀パーティーがお開きになると、
ようやく王宮は夜を迎えた。
二人にとっては初めての夜、という事になる。
「リディア様、夫君が参られました…」
侍女に促されてアーウィングが部屋に入る。
この部屋は二人の為の寝室だ。
だから、侍女が下がると文字通り二人きりという事になる。
「アーウィング様…」
「これを…」
スッと差し出されたのは白百合の花。
「この花は僕の誓いです。これが貴方を守る。
だから、怖がらないで…」
リディアの手を取ってその甲にキスをする。
そして、その手に百合の花を持たせた。
「もう夜も遅いですし、休みましょう…
宴に付き合わされて疲れているでしょう?」
アーウィングはためらいもなく寝台にもぐり込んだ。
リディアは緊張する面持ちで、最小限の灯りを残して消してしまった。
それからゆっくりと寝台に入った。
シーツの擦れる音が妙に響いて、
それ以上に心臓の音が聞こえてはいないかドキドキしていた。
「あの、アーウィング様。
私…どうすれば…。ねぇ…こちらを向いて…?」
背を向けたままの状態でアーウィングは答えた。
「それは、できません。
僕は、貴方が好きだ。
それでも…今の貴方を僕のものにはできない…いや、したくない」
「でも、私はもう貴方の妻になった。それなのに…いいの?」
理性の糸が切れそうになるのを必死で堪える。
吐息がかかるくらいの距離にリディアがいる…
それでも、このまま同情して自分に抱かれようという彼女の決心は、
到底受け入れられない。
男のプライドがそれを許さなかった。
「前にも言ったと思うけど…
僕は貴方に心から愛されたい、それまで待つと…
結婚したからといってその誓いが破られると思ったのですか?
僕は、貴方の前では真摯でいたい。
だから、あの花を贈ったんです…」
「白百合…」
「心を置き去りにして貴方を奪うなんてしたくない。
白百合は"純潔"の証。
貴方を、貴方の心を守るという僕の決意を…解って下さい…」
リディアの瞳から涙が零れた。
(どうして…そんなに貴方は優しくできるの?
その優しさに、私は甘えても良いの?
これからも私を待っていてくれるの?)
「ねぇ…お願い。手を繋いで眠っても良い?」
「えっ…?」
「お願い…」
答えの代わりにアーウィングはリディアの手をそっと握った。
(こんな風にしか応えられないの…でも、この手を離したくないの…
この手を離したら、きっと私は後悔する…だから、もう少しだけ私に時間をちょうだい…)
深く…もっと深く、
君よ、この愛に染まれ。
ついに結婚まで辿り着きました!おめでとう、アーちゃん!
でも、これからが君の本当の試練だ。耐えろ、耐えてこそ本物の男だ!
皆さん、「深愛」というタイトルの謎がようやく解けました?
実は、このタイトルはパクリなんですよ。
河●隆一の作った歌のタイトルで、字面が気に入ってて
「いつか使ってやる!」と思ってたんですよ。
それに、段階を置いて恋愛に発展していくっていう全体のテーマと合ってると
思いません?
「グラデーション」とかでも良かったんですが、「リュート」の小説は
日本語タイトルで合わせたかったんです。